本日のひとこと
「国歌をちゃんと歌えることは、日本人として大切なことだと思う」
今回は、先日行われた剣道の試合の開会式で、国歌が流れたときのことについて書いてみたいと思います。
国歌が流れたとき、ふと気がつきました。
「あれ、自分は歌詞を全部覚えていない……」
そして、ちゃんと歌えていない自分を、少し恥ずかしく感じました。
子どもたちの前でも、胸を張って歌えるようになりたい。
そんなことをきっかけに、改めて「国歌とは何なのか」「君が代とは、どんな歌なのか」を調べてみました。
今回は、その中で自分なりに感じたことを、記録として残しておきたいと思います。
国歌に対するアレルギー
剣道の開会式で国歌が流れたとき、会場を見ていると、歌っている人がそれほど多くないように感じました。
もちろん、私の印象に過ぎないので、実際にはどうだったのか分かりません。
ただ、
「なぜ、日本の国歌なのに、あまり歌われていないのだろう?」
そんな疑問が、自分の中に生まれました。
そして、その理由を考えていると、26年前の高校生の頃の記憶がよみがえってきました。
高校生の頃の「君が代」のイメージ
今から26年前。
高校生だった私は、学校の始業式で、国歌斉唱が行われたときの出来事を今でも覚えています。
国歌が流れたとき、地理を担当していた先生が、
「国歌・君が代の強制に反対!」
という趣旨の発言をされたのです。
当時の私は、その言葉にかなり強い印象を受けました。
「君が代」は天皇を象徴する歌なのではないか。
戦前の教育や戦争と結びついた歌なのではないか。
そんな先生の話を聞いたことが、その後の自分の「君が代」に対するイメージに大きく影響していたのだと思います。
いつの間にか、
「君が代は、自分にはあまり関係のない歌」
そんな感覚になっていました。
でも、今は少し違います
それから長い年月が経ちました。
そして今、子どもを持つ親になった自分は、
「子どもたちにも、国歌を知っていてほしい」
と思うようになりました。
もちろん、国歌に対する感じ方や考え方は、人それぞれあっていいと思います。
ただ、自分自身がよく知らないまま、昔から持っていたイメージだけで判断するのではなく、
「そもそも、君が代とはどんな歌なのか?」
そこを一度知ってみることは大切なのではないか。
そう考えるようになりました。
そして、実際に調べてみると、私は少し意外な発見をしました。
君が代の歌詞
現在の「君が代」の歌詞は、次のとおりです。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで
この歌詞の原型は、10世紀初頭に成立した『古今和歌集』に収められた歌に由来します。
そこでは、
「わが君は
千世に八千世に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで」
という形で、「よみ人知らず」とされています。(レファレンス協同データベース)
つまり、誰が作った歌なのかは分かっていません。
また、この歌はもともと、誰かの長寿や末永い繁栄を願う「賀歌」として詠まれたものです。
小さな石が長い年月をかけて大きな岩となり、さらにそこに苔が生えるほどまで、末永く続きますように。
そんな願いが込められた歌とされています。(レファレンス協同データベース)
こうして歌詞の意味を知ってみると、私が高校生の頃に抱いていたイメージとは、少し違って見えてきました。
「君」とは誰なのか
ここも、私自身が以前から疑問に思っていたところです。
「君」と聞くと、すぐに「天皇」を思い浮かべる人もいると思います。
実際、近代以降の「君が代」は、天皇の治世や皇室と結びつけて解釈されてきた歴史があります。
一方で、「君」という言葉そのものは、古くから主君や敬愛する人など、幅広い意味で使われてきました。
つまり、「君」という一語だけから、歴史上いつでも同じ意味だったと考えることはできません。
現在の日本では、日本国憲法のもとで天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とされています。
文部科学省の資料でも、「君が代」について、日本国民の総意に基づく象徴としての天皇を念頭に、日本国と日本国民の末永い繁栄と平和を祈念する歌として説明されています。(文部科学省)
こうした背景まで知ると、「君が代」という歌を一つの時代のイメージだけで捉えるのは、少しもったいないように感じます。
現在の「君が代」ができるまで
現在のメロディーが作られたのは、明治13年、1880年です。
宮内省の雅楽関係者によって旋律が作られ、ドイツ人のフランツ・エッケルトが西洋音楽の和声を付け、現在の「君が代」の形が完成しました。(レファレンス協同データベース)
つまり、
歌詞そのものには非常に古い歴史があり、現在の曲としての「君が代」は明治時代に成立した。
この二つは分けて考えた方が分かりやすいと思います。
海外の国歌と比べてみる
ここで、海外の国歌にも目を向けてみました。
例えばアメリカの国歌「The Star-Spangled Banner」は、1812年の米英戦争における戦闘の光景をもとにした歌です。
おお、見えるだろうか、夜明けの薄明かりの中
我々は誇り高く声高に叫ぶ危難の中、城壁の上に
雄々しく翻(ひるがえ)る
太き縞に輝く星々を我々は目にした
フランスの「La Marseillaise」は、フランス革命期の1792年に作られ、戦いに向かう兵士たちを鼓舞する歌として広まりました。
いざ祖国の子らよ!
栄光の日は来たれり
暴君の血染めの旗が翻る
戦場に響き渡る獰猛な兵等の怒号
我等が妻子らの命を奪わんと迫り来たれり
中国の国歌「義勇軍進行曲」は、1935年の映画『風雲児女』の主題歌として作られたものです。
いざ立ち上がれ隷属を望まぬ人々よ!
我等の血と肉をもって
我等の新しき長城を築かん
中華民族に迫り来る最大の危機
皆で危急の雄叫びをなさん
もちろん、国歌にはそれぞれの国の歴史があり、成立した時代も目的も違います。
だからこそ、単純にどの国の国歌が良い・悪いという話ではありません。
ただ、こうして比較してみると、日本の「君が代」は、戦いや革命、独立などを直接歌ったものとは違い、
長い年月にわたる繁栄や平和を願う歌
という、とても特徴的な性格を持っていることに気がつきます。
私は、そこに日本らしさを感じました。
日本の長い歴史について考える
今回、「君が代」を調べる中で、日本の歴史についても改めて考えるようになりました。
日本の初代天皇とされる神武天皇については、『古事記』『日本書紀』などに記されています。
『日本書紀』では、神武天皇の即位を紀元前660年としています。
ただし、これは古代の歴史書に記された伝承上の年代であり、現代の歴史学において、そのまま史実として確認されているわけではありません。神武天皇の即位年代については、歴史学上さまざまな議論があります。(国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
そのため、
「日本には2600年以上の歴史がある」
という表現をするときも、伝承・皇室の系譜としての歴史と、現代の歴史学で実証できる歴史は、分けて考える必要があります。
一方で、日本では古代から天皇という存在が続き、その時々の政治権力を担う人々が変わりながらも、社会や文化が受け継がれてきたという歴史があります。
鎌倉時代以降も、武家政権が政治・軍事の実権を握る一方、天皇・朝廷は別の役割を担うなど、権力のあり方が時代によって大きく変化していきました。
こうした複雑な歴史を経ながら、文化や伝統が次の時代へ受け継がれてきたことも、日本の歴史を考える上で興味深いところだと思います。
「君が代」をもう一度聴いてみる
高校生の頃の私は、
「君が代=戦前の教育や戦争」
というイメージを強く持っていました。
しかし、今回あらためて調べてみると、歌詞の原型は10世紀初頭の『古今和歌集』にまで遡ります。
そして、その歌の内容は、
「どうか、末永く続きますように」
という長寿や繁栄への願いです。
もちろん、「君が代」が近代日本の歴史の中でどのように扱われてきたのかを考えることも重要です。
戦前・戦中の教育との関係や、戦後の国歌をめぐる議論など、さまざまな歴史があります。
だからこそ、
「昔はこうだった」
という一つのイメージだけで終わらせるのではなく、
歌詞の由来、曲の成立、歴史的な使われ方、現在の意味。
そこまで含めて知ることが大切なのだと思います。
子どもたちにも伝えていきたい
今回の試合で国歌が流れたとき、
「自分はちゃんと歌えないな」
と感じたことが、今回の記事を書くきっかけになりました。
そして、調べていくうちに、今まで何となく遠く感じていた「君が代」が、少し身近なものになりました。
国歌については、人によってさまざまな考え方があります。
だからこそ、子どもたちにも、
「とにかく歌いなさい」
と伝えるだけではなく、
「これは日本の国歌で、こんな歴史や意味があるんだよ」
と、その背景まで伝えられる親でありたいと思います。
そして自分自身も、剣道の試合や大会などで国歌が流れたときには、歌詞の意味を思い浮かべながら、きちんと歌えるようになりたい。
今回の26年ぶりの試合は、剣道の技術だけではなく、そんなことを考えるきっかけにもなりました。
「知らないから歌えない」ではなく、
まず知ってみる。
そこから、自分なりに考えてみる。
それだけでも、見え方は変わるのかもしれません。
今回は、剣道の開会式で流れた「君が代」をきっかけに、自分自身が国歌について考え直したことを、記録として残してみました。
少しでも、何かを考えるきっかけになれば幸いです。

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